鏡のひとりごと

黒担eighterの気の狂った叙情文

リボルバー感想2


 
 キャラクターそれぞれについてツラツラと。個人的にはやっぱりフィンセントとテオのゴッホ兄弟が好きですが、兄とは友達にはなりたくないですし弟とは兄の話しをしたくないです。冴が美術館案内してくれるツアーがあったら行きたい。
 
 
 フィンセント
 感情の起伏が激しすぎて自分で自分を持て余してるメンヘラ。弟のことを愛してるのもポールのことを尊敬しているのも真実なんだろうけど、それ以上にタブローしかない。タブローの国の王様ってポールに言われてたけど、マジでそうなんだと思う。彼にはタブローしかない。絵を描くこと以外全てが些事になってしまうその情熱には同じ画家ですらついていけない。アルルで、自炊してないし外食もしてない。パンとコーヒー、あと知り合いの女将さんを描いてやってそのお礼に残り物貰ってるって、コイツまじか? ってポールが引いてるのもちょっと分かる。食べる間も寝る前も惜しんで週一ペースで絵を送ってる。描くこと以外頭にない。
 とはいえ気難しいかと言われたらそんなことも無い人物像。浮世絵に憧れて「日本は陽が沈まない!」って思い込むし(沈むよ)。初めてポールに会った時には「一番高いお酒を」とか言う。なんかもう愛しい。人間くさいし可愛いんだけどめちゃくちゃ迷惑。その高い酒の代金は誰が払うと思ってんだ。
 悲劇の天才とか孤独の画家とか、猟奇的なエピソードもそうだけど人類の好みからそう言われてるだけで、実はこんな人間だったんじゃないかなと思わされる。親戚で集まると一人くらいはいる何してるか分からん奴。あの時代のフィンセントは多分そんな扱い。舞台にいるのは偉人ではなく、もがき続けた無名の画家でしかない。
 あと絵画療法をほんの少し齧った人間から見ても、フィンセントの絵は常人が理性の下に描いた絵だと思う。あのひまわりも、星月夜も、彼は極めて冷静に理性的に描いている。彼は狂気の天才なんかでは無くて、ただちょっとばかし好きなことに熱狂的で、たった一人の弟に認められたいと暴走して、同志と認めた人に離れられて暴走してしまう一人の人間として描かれていた。あと歌がうめぇ(それは安田章大)(さくらんぼの歌がうめぇ)
 いやもう本当にずっと可哀想で仕方ない。誰か絵を買ってやれよ……私が買ってやりたい……あと君将来めちゃくちゃ有名になれるからこんなところで死ぬなよ、と思いましたが彼はラストにちゃんと死にました! 何でや。
 死後、彼を悼んでリボルバーをオークションに載せた三人の気持ちもフィンセントには届かないんだよ……だって死んでんだもん。何でや。
 ところでこれサビなんだけど、三回目のカテコでスタオベ見たヤスくんの瞳が見るからにパァって輝いたの最高だった。演劇って最高だなと思った瞬間です。


 ポール
 正直ずうっといけ好かない。個人的にいけ好かないだけなんだけど、なんて言うか普通の人だと思う。パリ一番の画廊支配人のテオに近づきたいのは当たり前だし、依存感が強い年下の友人にうんざりするのも当たり前。行き掛けの駄賃みたいに余計なことを当てこすったとしても、まさか耳切られるとは思わないだろうし……いやお前フィンセントがどんだけ病んでたか知ってんだろ「ひまわりを描いてくれ」って言ってた夜辺りから加速してんぞヤバさが。
 ただアルル生活が破綻したのはフィンセントの所為だけではないだろう(贔屓目)。フィンセントの言うように「倦怠期の夫婦」みたい。ポールは気さくで距離感が近い(ベッドに座らせたり)のに、逆にフィンセントはイラついてる時は近づこうとしないのが面白い。
 あとポールはフィンセントを厄介な後輩だと思って先輩風吹かせてたし、フィンセントも素直に「これどう?」「これはどうしよう?」って感じだったのが最初なんだけど、自分は太陽でフィンセントを向日葵発言はその辺りのことを言ってるんだろうけど、だんだんと逆転してタヒチでは太陽は向日葵に焦がれていたように見える。追いかけているのはポールで、フィンセントこそが先を行っている。彼こそが芸術の女神に愛されていると、彼は悟ってしまった。
 しかし、それさえも後々にゴッホが大家になったことを知っていた私たちの先入観かもしれない。ポール・ゴーギャンは常にフィンセント・ファン・ゴッホを導いているつもりだったかもしれないし、ゴッホゴーギャンを追いかけているつもりだったかも知れない。それは誰にも分からないのだ。
 11年後のタヒチでポールはフィンセントとの約束を果たそうと向日葵を育てて絵を描くのは、どこまでも先に行ってしまった友人への手向けなんだろう。それはそれとして自分の女の不安はちゃんと解いとけちゃんと言えお前そういうとこだぞお前。
 

 テオ
 安田くんの言うようにフィンセントは往々にして『その天才性故に周囲の人を食い潰す』タイプで、その食い潰された筆頭は間違いなく弟のテオなんだけど、彼は彼でフィンセントにデカすぎる感情を抱いているし現状の芸術に不満もあるから、似た者兄弟。
 私は真っ先にテオに同情した。高い声、兄に対する遠慮がちな態度、恫喝されながらも兄を肯定する姿は憐れだし、あれだけ尽くしても実際のテオはフィンセントが認められた時代を知らずにフィンセントの死後半年程で、兄の後を追うように死ぬという史実も同情に拍車をかける。
 この壇上におけるテオもそんな男だった。四歳歳上の兄にどれだけ怒鳴られても彼は突きつけたリボルバーの引き鉄を引けない。兄を見捨てられない。哀れなまでの、呪いとさえ呼べる家族の情があった。この男ならば兄を最後まで、地獄の果てまで支えに行くだろう。そんな確信さえ得た。彼が怒りを見せたのはフィンセントが酒に溺れて堕落した時とフィンセントの絵がバカにされた時だ。感情的な過去篇の登場人物の中ではいっそ珍しく理性的。だからこそ最も観客からの同情と共感を集める役だと思う。
 でもなんというか、そもそものフィンセントの絵を売る気があったのか? とはちょっと思う。兄の芸術を独り占めしたかったのか……ただ、テオにとってフィンセントはヒーローだったのだろう。上の兄弟がいない私には理解し難い弟妹の感情。兄に対する刷り込みのような憧憬と執着心。
 兄は早過ぎる、先を行き過ぎるとテオは言うが、その言葉の裏に「でも僕には兄さんの絵が分かる」という優越感もあったのでは?
 あるいは孤高の天才を支える献身的な弟、という称号を甘美に思ったこともあるかもしれない。でもテオは間違いなく兄を支え抜いたし、テオが選んだ女性は彼の死後に於いても夫と義兄の為に義兄の画家としての認知度の布教に努めたんだから凄い。
 現代でも当時でも、とうに成人した兄弟を食いも出来ない画家として養うなんて甘いだろ、お互い自立しろよと言いたくなるけど無理ですね。夫婦にしろ親子にしろ兄弟にしろ、他人が口を挟めない関係はある。その関係性は最初のシーンできっちり伝わったのが凄い。
 星月夜を前にしての冴との掛け合い。冴の「フィンセント・ファン・ゴッホ!」に対して彼は「兄さん!」と叫ぶ。この天才は自分の兄だと知らしめるような声にゾッとしたのは深読みです。


 高遠冴
 現代パートの主人公にして探偵役。可愛い。原田マハの描く女性主人公ってキリッとした理知的な女性ってイメージが勝手にあったけど、良い意味でそうじゃない。北乃きいが持つ可愛らしい雰囲気がいい感じに作用していた。
 最初はリボルバーを胡散臭そうに見てた彼女が過去の立会人の一人になる。とはいっても、積極的に過去の人物に接触するのは基本的に彼女。物語の窓。
 原作ではサラの告白を受け継ぐ形で彼女一人が真相を聴くんだけど、舞台ではあまりにも生々しい人の人生に立ち会うので社長とJPがいて良かった。
 カテコでも歩き方が冴だったけど、スタオベの後はきいちゃんだった。可愛い…。
 

 ギロー社長
 彼がいなかったらこの舞台辛すぎるので居てくれてありがとう大賞。オークションのやり方がコミカルで軽快で楽しい。つい手を挙げたくなる。
 リボルバーも最初は「面白いブツ入った!」みたいなテンションなのにどんどんフィンセントとポール、テオの心情に入り込んでいく。観客の体現。
 ラストのオークションでこれまでに無い真剣な表情で競売を始めるのが印象的だった。価値とは何なのか考える時に、響くのは彼の声だ。
 

 JP
 彼がいなかったらこの舞台辛すぎるので居てくれてありがとう大賞受賞(二回目)。マジで社長同様に彼がいなかったら見てられないので、ありがたい存在。社長との掛け合いが面白いし冴とのやりとりも同僚って感じでいい。
 クロエの持ち込んだリボルバーは彼の中で価値を変えた。ただの錆びついた鉄屑から、運命を回転させる一品に、そしてフィンセント達との思い出に。これもまた、物の価値について考えさせられる。
 

 クロエ/ヴァエホ/ヨー
 三者三様の役柄。クロエは美術も創作者の苦悩も知らないごく普通のハイティーン。ヴァエホはゴーギャンの現地妻となった少女。ヨーは一瞬だけ登場するけど、ゴッホ兄弟にとって重要な女性、テオの妻。全く違う役なので、同じ人間が演じてる気がしない。
 クロエが何も知らないからこそ、冴たち三人はフィンセント達の人生の立会人になれたんだと思う。ラストに戸惑いながら立っていた彼女は本当に普通の一般人だった。
 ヴァエホとゴーギャンのやり取りも男と女の身勝手さとジェラシーの生々しさがあった。ひまわりを叩き折り、リボルバーゴーギャンに向けた彼女が幸せであってほしい。
 

 レイ医師/警官etc
 これもまた対照的な役柄。レイ医師は晩年におけるフィンセントの理解者の一人だったように思える(彼の娘の絵も残ってる)。フィンセントはとつとつと自分の人生の失敗を語るけど、レイ医師は「私はむしろ貴方に興味があります。この歳で全く新しいことに挑戦することは勇気がいることだ」と言う。月並みな言葉だけど、フィンセントは「初めて言われました」とレイ医師に心を開く。こんな月並みに言葉さえフィンセントはもらえなかったのかと悲しくなった。
 一方で警官はフィンセントに対して批判的。彼にとってフィンセントは友人と口喧嘩したくらいで耳を切り落として娼婦に送りつけた頭のおかしい犯罪者予備軍でしかない。何なら画家という職業さえ馬鹿にしてる気がするが…まぁこんな人も多いだろうし何なら普通かもしれない。ひまわりを「人の顔ですよ。それも狂ったね」と評してポールにフィンセントの絵は田舎のお巡りすら詩人にすると笑われる。芸術家に対する見方をそれぞれ提示した通りすがりの重要な人物だと思う。